京都シルバーバーチ読書会

学習のポイントと参加者の感想



<2023年4月16日(日)>

(参考リンク)

<スピリチュアリズム普及会> スピリチュアリズムの思想[Ⅰ] 8.地上人生の目的と霊的成長のための歩み へ

<YouTube スピリチュアリズム普及会公式チャンネル> 救済の観点から見たスピリチュアリズムの全体像 へ

<YouTube スピリチュアリズム普及会公式チャンネル> 宗教の観点から見たスピリチュアリズムの全体像 へ

<大阪スピリチュアリズム・サークル シルバーバーチ読書会> スピリチュアリズム思想の大樹 (10月) へ

<大阪スピリチュアリズム・サークル シルバーバーチ読書会> スピリチュアリズム思想の大樹 (11月) へ

<大阪スピリチュアリズム・サークル シルバーバーチ読書会> 「講義練習をするということは、スピリチュアリストとしての基本を鍛えるということ」 へ


スピリチュアリズム思想の大樹 ③


4月は、参加者の皆さんに講義発表をしてもらいました。

その後、実践についてスピリチュアリズムの思想体系Ⅲから8.地上人生の目的と霊的成長のための歩み、そして、大阪スピリチュアリズム・サークルのホームページより「講義練習をするということは、スピリチュアリストとしての基本を鍛えるということ」について学習しました。


シルバーバーチの霊訓とスピリチュアリズムの思想体系について

3月も学習しましたが、正しい理解に基づく正しい実践のためには、「シルバーバーチの霊訓」と「スピリチュアリズムの思想体系」という実践の手引書をセットにして学ぶことが必要になります。

スピリチュアリズムの思想体系をじっくり吟味すれば、シルバーバーチの霊訓と同様、どこにも矛盾の無い、まさに、霊界からの導きによってシルバーバーチの霊訓を土台としてまとめ上げられたものであると直観できる内容です。

シルバーバーチは、「あなたの理性でよく吟味して、あなたの知性を侮辱するようなものであれば拒絶してください」と言っています。

私たちが学んでいるスピリチュアリズムの思想体系の中に、私たちの知性を侮辱するような内容は一かけらもありません。どこまでも客観的に、霊的事実のみを解き明かしている、誠実な内容です。このことからも、スピリチュアリズムの思想体系は、霊的真理の正しい理解に導き、そして摂理に一致した生活をすることで霊的成長をしていくための手引書となっていることがわかるはずです。


思想体系のビデオをそのまま語る練習をすることは重要な信仰実践

ですから、思想体系のビデオの内容を自分でそのまま語る練習をすることは、イエスが吟味して地上人に届けた「霊的真理」に自らを添わせていくという、重要な信仰実践のひとつとなっているということなのです。京都シルバーバーチ読書会では、今後も定期的に発表の時を持ちたいと思っています。


日常の霊主肉従の努力は信仰実践の基本

また、日常の霊主肉従の努力も信仰実践そのものです。人に伝えるためには、まず自分自身が常に霊主肉従の努力をしていることが大前提です。その努力なしに人に伝えても、誰にも感動を与えることはできません。それどころか、真理を手にしながら、自分自身が霊的成長の努力をしないということは、大きな摂理違反をしていることになるのです。失敗してもいいのです。実践をするということは失敗と反省の連続です。失敗しても努力し続けることが私たちに求められていることなのです。


常に最高の道具を目指して努力し続けることが求められている

重要なのは、自分はこの霊的真理を何としても時期の来た人に伝えて、一人でも多くの人が自分と同じように救われてほしいと強く願い、良き道具となるために、できる限りの日常生活での地道な実践を続けていくことです。その強い想いと実践の努力に呼応して、霊界から援助の霊が大勢集まり、必ず私たちを道具として使ってくださるようになります。


ともに頑張りましょう!

イエスの地上再臨以前に比べ、とても身近にイエスの人類愛を感じるようになった人も多いのではないでしょうか。

シルバーバーチは、「私はイエスが涙を流しておられるのを見たことがあります。多くのクリスチャンや聖職者たちが、教会の陰で進行している恥ずべき事態に目をつぶっているのをご覧になるからです」と語っています。

これは、「シルバーバーチの教え(下)」(スピリチュアリズム普及会) 21章 青年牧師との論争の中での言葉ですが、イエスはこの2千年間、様々な悲劇をつぶさに見てこられました。どのような悲痛な思いでいらっしゃったことでしょう。それを思うと、二度とイエスに涙を流させたくない、と強く思います。そして、イエスの願いをわが願いとして、人類救済の道具となって働きたい、すべての人が一人残らず救いを手にしてほしいと心から願います。

この度の地上再臨の時期に、スピリチュアリストとして地上で過ごす私たちには大きな責任があります。その責任を改めて自覚し、イエスの部下としてすべての人類の救いのために、道具となって働けるよう、皆で心を一つにして、ともに励んでいきましょう!



参加者の感想

本日は、講義の発表と、地上で霊的真理を知り実践することの重要性について学びました。講義は、練習のときから、本番のつもりで、真剣に思いをこめてしなければ、霊からの働きかけや人に霊力を届け、相手の心に感動を与えることはむずかしいと知り、とても勉強になりました。そして、実践することの重要性を、あらためて強く実感し、本当に日常、実践するのは、きびしさを求められますが、人類救済のために役に立つと思えば、努力することも喜びとなるということを学び、力がわいてきました。一人一人に対してイエス、霊界から大きな期待を、よせられているというお話しがありましたが、イエスの部下として、働きたいとの思いがよりいっそう強くなり、がんばっていこうと思いました。

神は愛の有機的世界をつくろうとされ、一人一人の人間が霊的成長のための実践をすることで、他者を引き上げることが出来るという愛の中での学びを与えてくださいました。正しい理解の上に正しい実践を重ねるごとに、自らの足りなさを感じ更なる理解と実践を繰り返すという正のサイクルについての話は本当に納得し感動しました。その正しいサイクルがどのようなものなのか?その正のサイクルにどのように自らを乗せていくのか?などについては、読書会の学びやスピリチュアリズム普及会のインフォメーション、そして現在はイエス様から届けられるメッセージをしっかり受けとめていくことで、足りないならでも、霊的成長へと歩みを進めることができるようになると思いました。地上人生で霊的成長を成し、イエス主導のスピリチュアリズム運動の部下、兵士として地上・霊界、どこにおいても働けるように準備をしていきたいと決意を固め直しました。今日の学習を通して、何としても、何としてもイエスの兵士としてお役に立ちたい!!との思いが強く、強く湧いてきました。魂を鼓舞する学習でした。

本日は救済の観点から見たスピリチュアリズムの全体像の一人一人の発表でした。自分の日常での実践でさえ試行錯誤することがあります。それが、霊界の人々の強い愛の思いを知りながら、地上の人に訴えていく時、もう一つ熱が入りきらない原因だと思います。難しいですが、それを自分の目標をしっかりと捉え、また、まだ真理を知らない霊たちに聞かせているつもりで、もっと聞き手を意識して講義をし、自分の伝えたいことを強めていこうと思います。実践となるとむずかしく思ってしまいますが、普段全のDVDを忠実に講義習することも重要な実践になるということ、そしてその努力の分、自分の霊的意識も高まっていくことになるということを励みに頑張ろうと思います。

本日、救済の観点から見たスピリチュアリズムの全体像の講義発表を行いました。頭の中のこれに関する知識は十分にあっても、なかなかうまく語れません。全てを丸暗記していても、いざとなればうまくゆきません(もっとも100%暗記出来ていませんが)。ビデオを文字に起して練習していますが、努力不足を感じています。以前から、ビデオをそのまま覚えようと思いながら、出来ていません。失敗をくり返し、覚え方も発表の仕方も、考え直すことになります。発表されている人の真似も大切に思います。当面はまず、ビデオそっくりにやって、努力してゆきたいと思います。自己流を強くいましめてゆきたく、しんどくても、失敗してもやり抜かねばなりません。本日、自らの学び直しを心に固く決めて今後も頑張ります。

今日の読書会もとても自分の現状にマッチした、ためになるものでした。また実践の講義では、熱い思い、皆を支え応援しようという愛情があふれていたからでしょうか、涙が目にあふれそうでした。今日は他の箇所でも感動を伴う涙が目に浮かび、日常生活の自分から切り離した「霊性」に感性を集中するよい時が持てました。ありがとうございます。真理が綴られているテキストを手にしても、日常生活は展開していきますし、自分の感情も自然発生的にわき起ってきますから、理想通りにはいかないことも多くありますが、「間違ってもいい、何度でもやり直せば」というあたたかい言葉に励まされました。頂いたプリントも日々自分を高めようと拝するのに役立つものです。読書会で読んで終わりにするのではなく生活の中で目にとめ、心をリセットするのに使わせて頂こうと思います。多くの霊の方々が想以上の愛をもって私達の意的成長を願ってくださる、その無私の愛を忘れずに生活をしようと思います。自分の日常の霊性発達に直結する内容、自分の霊性向上のモチベーションを上げてくれる内容でした。

「地上人生の目的は霊的成長をなすこと」であります。私達が知ることのできた「霊的真理」は単なる知識として、自己満足のために勉強しているものでなく、実践して「霊的成長」するためのものであり、その姿勢を時期の来た人に示し、スピリチュアリズムの目的にもつながってゆくものです。はたして、私自身の日常生活はどうであるか?ということですが、少なくともこの2年半、実践しようという思いは続けてこられたと思います。たしかにその過程で邪魔になったのは「自我」でした。醜い自分が次から次へと邪魔をする。ただ少しは成長できていると思います。そしてまわりの人たちの影響も実践で示すことよって行えるよう努力したいと思います。

本日は講義発表と(救済の視点から見たスピリチュアリズムの全体像)、地上人生の目的など内容の濃い学習であったように思います。本日の感想はなんといっても、自分の心の中にいろいろ湧き出てくる思いを捨てて、初心に返って学ばなければならないと思いました。「滅私」ということも言われていましたが、自分の考えを強くもてば持つだけ、正しい教えは自分の中に入ってこないと思いました。今日、すばらしい発表をされた方がありました。開いていて、心に強くひびいてまいりました。日頃の実践もすばらしい方だと感動いたしました。何回失敗しても、何回も挑戦して、自分をのりこえていく努力が大切であると思いました。

地上人生の目的は霊的成長であるということは霊的真理を学んで知っていました。しかし、自分が霊的成長できているのかどうかも分からず真理に出会った頃の自分とくらべて、成長しているのだろうかと思います。その頃の自分には出来ていなかった事で、今の自分には出来ていることも、もちろんあるのはあると思います。しかし、次から次へと自分の足りていないことが見えてきて、自分はいつも足りない人間であるというふうにしか思えません。ひとつの課題を乗り越えても、また次の課題が見えてきてこれが永遠に続くのだろうなと思います。自分に満足すると霊的成長が止まるのは、良く分かるのですが、いつも不満足な状態で苦しみをかかえて生きるのも大変です。私は苦しみの甘受がまだうまく出来ず、それがありがたいものだとは、なかなか思えず、今まで来ました。後からふり返えると苦しみはありがたいものだったと思い、それは、私の成長のために起こっていたことだと思えることもあるのですが、あまりに苦しみが深すぎて、心の傷になってしまったことには、感謝の思いは今の時点では正直わいて来なかったです。

本日の学習では、"何としても正しい本物のスピリチュアリズムを確立してほしい!というイエスや霊界の方々の思い願いが届き、感動と真のスピリチュアリズムに出会えたことの感謝の気持ちで一杯になりました。そして、信仰実践とは、"正しいところに、これまでの自分を捨て去って従っていくということ”とありました。日常の霊主従の努力も失敗から学び、霊的成長の糧とするためには、自分を客観視し、これまでの自分の頑な心の姿勢を改め、自分を捨て去ることが大切なのだと、改めて強く感じています。自分を虚しくし、謙虚な姿勢で臨み、神へと近づく向上の道を一歩でも前進できるよう努めていこうと決意を新たにすることかできました。霊の道具として純粋な通路となれる努力を継続し、その上でイエスと霊界人の願い思いを届けることのできる霊の道具を目指します。